年越し宗谷岬2024 1日目

1/2/2025
#旅行

事の発端

9月、礼文島への旅の途中で宗谷岬に寄ったときのことだった。
>礼文桃岩荘旅行記

宗谷岬への行き方を調べようと思い、Googleで「宗谷岬」を検索してみた。すると、「年越し宗谷岬」という興味深いイベントがヒットしたのだ。

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年越し宗谷岬

宗谷岬は日本最北端の地として知られているが、年末年始には全国各地から訪れた人々がここで年を越すイベントがある。冬の宗谷岬は極寒で風も強いが、そこに集まる人々はどこか温かい。焚き火を囲みながら語り合ったり、初日の出を拝むために一晩中外にいたりと、他では体験できない特別な年越しができるのだとか。
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「こんなんあるんや!」と思った瞬間、なぜだか心が踊った。そして、「行きたい!」という気持ちがぐっと込み上げてきた。
みんながやらないことに挑戦するのが好きだし、何より、旅には特別な魅力があるからだ。

自分は、日常の生活や勉強に疲れると、旅に出ることでリフレッシュするのが定番のスタイルだ。旅先で新しい景色に触れ、知らない土地の空気を吸いながら、そこで出会った人たちとワイワイ過ごす。そうやって、毎回刺激をもらいながら自分の世界が少しずつ広がっていくのを感じている。

だから今回も、「年越し宗谷岬」という特別な場所で、”変な人たち”に会えるかもしれない。そんな期待を胸に、行くことを決めたのだった。

決断まで

最初は漠然と「行きたい」という思いだけが先行していた。けれど、具体的な準備には手を付けず、いわゆる「行く行く詐欺」状態だった。

サークルでも友達にも「年越し宗谷岬に行くかも」と話してはいたけれど、みんな一様に「本当に行くの?」と驚いていた。それがちょっと楽しかったのも事実だ。自分はどこか、「変わったことをしている自分」が好きなんだと思う。

ただ、相手を驚かせるのは楽しいけれど、実際に冬の北海道へ行くのは話が別だ。厳冬期のキャンプはもちろん、雪道を自転車で走る経験もなければ、輪行(自転車を持って列車で移動すること)すら未経験。唯一頼りになるのは、ボーイスカウト時代にやった冬キャンプと、少しの登山経験くらいだった。

そんな中、12月に入って本沢温泉に行ったのがターニングポイントだった。氷点下8度という環境で一晩過ごして、「これならいけるかも」という自信が少し湧いてきた。それに加えて、本沢温泉へ行く前にむさしの山荘でテントを取り寄せてもらったこともあって、「ああ、これはもう行く流れなんだろうな」と思い始めた。

とはいえ、実際にはまだ必要な準備が山積みだった。自転車の部品を揃えるところから手付かずで、12月21日になってようやく後輩から輪行袋を借りて予行演習をしたり、自転車の整備を始めたりした。だけどクリスマスにはケーキとチキンを食べて、そのまま何となく過ごしてしまい、まだ迷い続けていた。

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サークル仲間にも「僕、本当に行くのかな」とつぶやきながら、どこかまだ決めきれない自分がいた。怖い気持ちもあったし、初めての経験だらけで、せめて「冬の北海道で自転車に乗ってみる」「輪行をしてみる」「冬ソロキャンプをやってみる」など、何かひとつ経験してから挑む方がいいのではと思っていた。

でも、12月26日。その日はなぜか、「このままじゃダメだ」と思った日だった。
本沢温泉は確かに楽しかったけれど、心からの息抜きにはなっていなかった。むしろ「人に会いたい」という気持ちが強くなっていたのだ。できれば、自由でちょっと変わった人たちと話してみたい。そう思ったとき、自分の中で「行くしかない」という気持ちが固まった。

こうして、年越し宗谷岬への旅が本格的に動き始めたのだった。

デスマーチな準備

決意したら、あとは流れるように準備が進んでいった――というか、進めるしかなかった。

12月27日

時間的な余裕はほぼゼロ。自転車の整備は自分でしたかったけれど、そんな悠長なことを言っている場合ではなく、自転車ショップに駆け込み、オイル交換とチェーン交換をしてもらった。整備を待つ間、「本沢温泉の下山で一緒になった人」に教えてもらったダウンジャケットのことを思い出し、中古で3万円もするヴァランドレのダウンを勢いで購入。これで寒さに対する心配はほぼ消えた。

その道中、親に電話して年越し宗谷岬行きを伝える。予想通り、絞られた。「どうしてそんな無茶をするのか」というお決まりのやり取りを終えたあと、最後には「あんた、どうせ行くんでしょ」と呆れつつも行程を送るように言われた。

家に帰ると、大事な準備を忘れていたことに気づく。「どんな工程で行くのか」を全く詰めていなかったのだ。ブログを漁りながら、必死で情報を探す。実はぼんやりした計画は頭にあったけれど、冬の宗谷岬へ行くという情報は本当に少なく、向き合うのを後回しにしていたのだ。結局、名寄からのルートがメジャーそうだということで、それを保存しておくことにした。

12月28日

むさしの山荘で防寒アイテムを追加購入。ダウンパンツや靴下類を買い揃えた。この頃にはAmazonからもサイドバッグや自転車のパーツ類が届き、準備は佳境に入る。

そこからが大変だった。パッキングとタイヤ交換に着手したものの、スパイクタイヤの交換が予想以上に手間取った。これが初めてのタイヤ交換だったこともあり、2~3時間はかかってしまう。ようやくタイヤを交換し終えた頃には体力が尽きてしまい、その日はそのまま寝てしまった。

12月29日

日付が変わった深夜、スカイメイトで当日チケットを予約。飛行機と高速バスの時間を考慮し、11時発のバスに間に合うように再びパッキングを開始した。輪行準備もギリギリまで行ったが、最後に時間の読み間違いが発覚。慌てた結果、ヘルメット・手袋・断熱水筒という重要アイテムを忘れるという痛恨のミスを犯してしまった。ただ、それに気がつくのはもう少し後の話。


準備期間はまさにデスマーチそのもの。初めてのことばかりで時間がかかった上に、次々とやることが押し寄せてきた。だけど、そのたびに「もう後戻りはできない」と自分に言い聞かせ、何とか進めていった。

こうして、年越し宗谷岬への挑戦は、出発直前までバタバタしながらも形になり始めたのだった。

出発

どうにか高速バスに飛び乗り、羽田空港へ向かった。羽田に到着したのはちょうど12時。ここからが本当の旅の始まりだ。

まずは自転車を預けるため、手荷物カウンターを探すところからスタートしたが、これが想像以上に手間取った。カウンターの場所が分からず、20分ほど空港内をさまようことに。さらに、カートを見つけるのにも時間がかかり、肩が痛くなる始末。それでも、ようやく見つけた手荷物カウンターで無事に手続きを完了。職員さんに「自転車ですね」と声をかけられながら書類に署名し、重量超過料金の1,700円を支払った。職員さんの手際の良さを見る限り、こういう荷物を預ける人も案外いるのだろう。

手荷物を預け終わったら、保安検査場を抜け、空港内のカフェテリアでカツカレーを食べた。少し腹ごしらえをしてから、思っていたより小さな飛行機(B767)に乗り込む。

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羽田 → 旭川

機体は少し古びていたものの、シートは意外と快適で問題なし。飛行機の揺れも少なく、スムーズなフライトだった。

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旭川空港到着

旭川空港に到着し、目に飛び込んできたのは一面の銀世界。空港で雪を見るのは初めてだったので、少し驚きと感動があった。

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預けた自転車は荷物とは別で出てくるらしく、職員さんが丁寧に運んできてくれた。ところが、輪行袋が無残にもビリビリに破れていて、しばらく呆然。もちろん自己責任なのは分かっていたけれど、破れた袋を見てため息をつかずにはいられなかった。職員さんに「これで大丈夫ですか?」と尋ねられ、無言で頷くしかなかった。

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事前に参考にしたブログでは、「荷物を入れて輪行袋ごと預ければ楽」と書いてあったのだが、どうやらその情報を鵜呑みにしたのが失敗だったらしい。中の荷物が固定されていなかったため、そこから破れてしまったのだ。後から分かったことだが、ブログ主は荷物をしっかり固定した状態で袋に入れていたらしい。そもそも、荷物が少ないからそれが可能だったのだろう。自分の荷物の多さを呪った。

空港での出会い

空港の外では、すでに自転車を組み立てている人がいた。

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その方は3回目の宗谷岬挑戦だと言う。少し話を聞いてみると、なんとテントなどの荷物を宅急便で稚内まで送っているとのこと。こんな方法があるのかと驚いた。

さらに、その人から「雪道は全然進まないから、時速5kmくらいで考えたほうがいいよ」とアドバイスを受け、自分の計画の甘さに気づかされた。いつもの感覚(夏の自転車旅)でしか考えていなかった自分が恥ずかしくなった。それに加えて、29日に出発するというギリギリのスケジュールも無謀だったと痛感。この人に出会わなければ、自分はどんな失敗をしていただろうと考え、少しゾッとした。
@Ayu_Nittaki
その人は、組み立てが終わったらご飯を食べてから出発するらしい。宗谷岬での再会を期待しつつ、情報を感謝して別れを告げた。

コンビニでの休憩

自分も空港のロビーでコンビニで買ったパンを食べて少し休む。しかし、その途中でまたしてもトラブルが。自転車のカメラマウントがうまくつかないことに気づき、思わず泣きたくなった。

凹んだ気持ちのまま外を見ると、観光案内所で外国人がタクシーを呼んでいた。どうやらこれから旭岳に向かうらしい。「この雪の中、旭岳へ行くのか」と感心しつつ、どこか自分も負けられないという気持ちが湧いてきた。

旭川市内へ

旭川空港を出発したのは16:40。

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街へ向かう道中、夜景がとても綺麗だったが、同時に北の大地の厳しさを肌で感じることになる。外は吹雪いており、道路はデコボコ。出発してすぐにバラクラバを装着したものの、20分も経たないうちに寒さに耐えきれず手袋を交換。これが北の寒さかと、いきなり洗礼を受けた。

雪でデコボコの道にハンドルを取られながら、何とか市内のホテルを目指して走行。車道は車が容赦なく飛ばしてくるため、途中から歩道に上がったものの、ここも全く走れる状態ではなかった。ただ、その中でスパイクタイヤの感覚を掴めた気がするのは収穫だった。

旭川市内は基本的に碁盤の目状の道路なので道に迷うことは少ないが、川沿いに出た途端、状況が一変。道が分からなくなり、Googleマップも雪道では全く頼りにならず、北海道の雪道の厳しさを改めて痛感した。

何とか18:30にホテルへ到着。
荷物を確認すると、リュックに刺していたペットボトルの水が凍っているのを発見。北海道おそるべし、という思いと同時に、自分が水筒を忘れてきたことにも気付く。「凍らないようにするはずの水筒がない」という現実が、より一層厳しさを実感させてくれた。

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無いもの探しの旅

ホテルで一息ついたあと、忘れ物を揃えるべく検索を開始。だが、ここで思い知ることになる。札幌の感覚で「何でも揃うだろう」と思っていたのは大きな間違いだった。旭川にはアウトドアショップも家電量販店もほとんどなく、頼りにしていたカメラのキタムラに電話をしてみたが、カメラマウントは在庫なしとの返事。思わず泣きそうになる。

OD缶についても同様で、郊外のアウトドアショップにはあるらしいが、そこまで行く時間がない。しかも、旭川空港のセブンイレブンでOD缶が売っていたことを知り、さらに落胆。

結局、OD缶も輪行袋の買い直しも諦め、補修路線に切り替えることに。バスで近くのDCM(ホームセンター)へ向かう。バスは都営バスの中古らしく、どこか見たキャラクターが。。。
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それ以上に旭川の寒さに驚いた。脚を出して歩いている地元の人たちが信じられない。

DCMでの補修品探し

閉店ギリギリにDCMへ到着。補修テープとカメラマウントを取り付けるためのゴムをゲット。だが、ここでもガス缶はコールマンのものしかなく、プリムスのガス缶は見つからなかった。

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店を出た瞬間、雪道で滑って転倒。左手を思い切りつき、一瞬「ここでリタイアか……」と頭をよぎったが、幸い大丈夫だった。ほっと胸を撫で下ろしながら、ホテルへと戻る。

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焼き鳥屋

ホテルに戻った時点で、旭川のほとんどのお店(飲食店以外)は閉店していた。これ以上足掻くことはできないと悟ったその瞬間、お腹が空いていることに気づく。バス停近くで見かけたチェーンの焼き鳥屋に入ることにした。

「お得10本セット」を口頭で注文した。程なくして出てきたのは、温かい鶏がらスープ。どうやらお茶の代わりらしく、おかわり自由。これがめちゃくちゃ美味しい。

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その後、ご飯を待ちながら明日のプランを考える。豊富温泉を経由すればギリギリ行けるのではないかと思いつつ、OD缶の問題に悩む。「特急」という二文字が脳裏をよぎり、列車での移動をちらつかせるが、具体的な決断は出ないままだった。

しばらく経っても料理が全然来ないので店員さんに聞いてみたところ、どうやら注文がうまく通っていなかったらしい。結局1時間近くの虚無の時間を過ごしてしまったが、出てきた焼き鳥は文句なしに美味しかった。特に海老の串焼きが絶品で、心が少し救われた。

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旭川の驚き

帰り道、ふと旭川の車道と歩道の違いに気づく。車道は圧雪されていて、一段高くなっているのに対し、歩道はきちんと除雪されている。こんな風景は初めて見たので、面白いと感じた。

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焼き鳥の満足感と旭川の発見に心を癒されつつ、ホテルへ戻る。

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眠気と闘いながら

ホテルに戻ると、美味しい焼き鳥で満たされた満腹感と暖房の暖かさが相まって、急激に眠気が襲ってきた。ベッドに倒れ込みたい衝動を必死で抑えつつ、一旦暖房を「低」に設定。暖房を切る設定はなかった。が、これ以上暖かくなると完全に寝落ちしそうだった。

眠気と闘いながら、破れてしまった輪行袋の修復に取り掛かる。補修テープを使って何とか形にはなったが、その辺りから記憶があやふやだ。意識が朦朧としつつも手を動かしていたような気がする。

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本日も終わり

気がついたら、ベッドの上で寝ていた。時計を見るとすでに日付が変わり、1時を過ぎている。やるべきことはまだまだ山積みだったが、疲れ切った体ではもうどうにもならない。

それでも最後の力を振り絞り、せめてバラクラバを手洗いする。流石に全身を洗う元気はなかったが、頭と足だけは洗っておいた。それだけでも少しスッキリした気分になった。

あとは、明日の自分に全てを託すことに決めた。朝早く起きてやるべきことを片付ける。それを心に誓い、ベッドに潜り込む。

この日の疲れが翌朝のスタートにどう影響するのかは分からないけれど、ひとまず就寝。

こうして、いよいよ宗谷岬に向けた旅の本番が始まろうとしていた。